闇金融が私達を借金苦に追いやった

忘れられないキツイ取立て

もう37年のたってしまいました。

 

でも一生忘れることはないでしょう。

 

あの当時のことは。

 

 

結婚後半年もたたない頃義母の借金問題が発覚しました。

 

義父も夫も地元では一流企業勤務。給料も県内1,2位を争うほどの高額でした。

 

私も公務員の共稼ぎ。

 

そんな私達がこんな金欠生活を強いられるなんて努々思いませんでした。
専業主婦だった義母は、子供が成人した後保険の勧誘員の仕事を始めました。

 

元来派手で社交的な義母はその性格と、義父のバックアップもありぐんぐん成績を伸ばし社内のトップとなりました。
何度か表彰もされたようですがそれが不幸の始まりでした。
今までの契約は義父の仕事関係者が多かったのです。新規の契約者開拓はそんなに易しいものではありませんでした。

 

それに反し、月ごとに成績は左肩下がりになることはいとも容易いことでした。
義母にはそれが耐えられなかったのです。

 

義父に内緒で架空契約と解約を繰り返しその資金をサラ金から調達していたのです。
取り立てが厳しくなり、義父の会社まで取立屋がやって来るようになった頃にはもうどうしようもない状態でした。

 

夫も私も何も知らされていませんでした。
義父の力だけでは返済しきれず、私達に借金を申し込み、さらに、夫の名前で銀行から融資を受けて欲しいと頼んできたときでさえ、義母が保証人倒れになったので高利の借金をしてしまったという理由でした。

 

当時東京の私大に在学していた弟を退学させるわけにもいかないので何とかして欲しいと言うことでした。
結婚資金で使い果たした貯金でしたが、わずかな残りも提供し、実家からも借金をして渡しました。夫の手取りの給料は、弟への仕送り額よりも少なくなってしまいました。

 

その時私は妊娠4ヶ月。仕事から疲れ果てて帰るときはタクシーを使いたい時もありました。

 

でも財布の中身がそれを許しませんでした。

 

満員のバスに揺られ気分が悪くなり、途中下車したこともありました。

 

でもそれは許せます。

 

今でも思い出すと涙が出る出来事がありました。
あるとき私はスーパーに買い物に出かけました。

 

果物売り場に当時は珍しかったグレープフルーツが売られていました。

 

黄色くプリプリしたまぁーるいグレープフルーツが光って見えました。

 

とてもおいしそうでした。私はとても食べたくなりました。で

 

も当時はとても高価な果物だったのです。

 

1個の値段で豚肉1パックが買えました。
豚肉でおかずを作った方がずっとおなかの子供のために良い。
私はそう思いグレープフルーツ1個を買うことができませんでした。

 

週末夫の実家を訪問した私は、台所のテーブルの上に籠いっぱいのグレープフルーツを見つけました。

 

私の全身は凍りました。

 

「誰のせいで私はグレープフルーツ1個さえ買えなくなったの!!」

 

自分が情けなく涙が次々に出てきました。

 

このあとも義母によるヤミ金融の恐ろしさが次々に私達の生活をおびやかしましたが、グレープフルーツは私にとって今でも忘れることができない悲しい金欠生活の象徴なのです。